なぜなぜ問答を読む

なぜなぜ問答を読む

親鸞聖人はなぜ、仏法を聞かなければならないとおっしゃったのか

 


親鸞聖人は、何のために仏教を聞かなければならないとおっしゃったのですか。仏教を聞く目的を教えてください。

 

 ずばり親鸞聖人のお答えを申しましょう。

たとい大千世界に

みてらん火をもすぎゆきて

仏の御名を聞く人は

ながく不退にかなうなり(浄土和讃)

たとえ、この世が火の海になっても、生死の一大事の解決のために、仏法は聞かねばならぬ。聞けば必ず、絶対の幸福になれるのである。

 親鸞聖人は、仏教を聞く目的を生死の一大事の解決のためであるとおっしゃっています。
 仏教とは、すべての人に生死の一大事のあることを明かし、その解決を説かれたものだからです。それは、そのまま人生究極の目的なのです。
 こんな仏教の目的を知らないで、明るく強く仲よく生きてゆくことを教えているのが、仏教だろうと思っている人がいかに多いことでしょう。仏教を単なる、勧善懲悪、悪をいましめ善を勧める、道徳や倫理と兄弟のように思っている人がほとんどです。
 だから、仏法を信じている者は、おとなしい優しい、他人の言うことは何でもハイハイと聞くお人よしだろうと思っています。
 どんな人とでも仲よくケンカ争いはせず、家庭も円満で世間でいう人格者、角のとれた人間を仏教者だと考えています。
 どんな苦しみや不幸にあっても、不平、不満を言わずアキラメて、ただ黙々と忍従してゆく人間像を想像しています。仏法を、この世を平穏に生きてゆく道具のように思っているのです。
 しかし、これは道徳や倫理と仏法を混同している迷見であります。
 もし、真実の仏法が、そのようなものであるならば、親鸞聖人が肉食妻帯されて、当時の倫理や道徳を破壊し、ごうごうたる非難を自ら招かれ、当時の仏教界を大混乱させられるはずがありません。
 また、34歳の時、法友、380余人と大法論をなされ、これらを撃破して法友から背師自立の横着者と罵倒されるような言動をなされる道理がありません。
 さらに、84歳の老聖人が、長子・善鸞を勘当なされて家庭を破壊し、世人から「産んだわが子さえ救えぬ者が、他人を済度できるか」と、辛辣な非難を受けるような言動は、到底、理解することはできないでしょう。
 聖人のご一生は、安易な現状との妥協や協調ではなく、誰もが忘れている生死の一大事を知らせ、その解決の道を伝えるために、それらを妨げる一切のものの破壊に、身命を捧げられたものであったのです。

 

『親鸞聖人の花びら』藤の巻より)