なぜなぜ問答を読む

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4つの仏法の角目とは何か

蓮如上人は4つの角目を聞けと仰せられています。(1)阿弥陀仏の本願、(2)名号のいわれ、(3)信心、(4)称名念仏、この意味を聞かせてください。

 これは非常に大きな肝心の問題です。
 角目とは要ということです。
 たとえば、ある目的地に着くまでの十字路で、右に行くか左に行くか真っすぐ進むかによって、目的地に着けるかどうかが決定します。
 私たちが仏教を聞くのは、あくまでも後生の一大事を解決し、未来永遠に大満足の身になるためであることはご承知のことと思います。この目的を果たすに、4つの大切な角目があるということです。
 第1は、阿弥陀仏の本願です。本願とは阿弥陀仏の本当の願いのことです。弥陀の本願には、「若不生者 不取正覚」といいまして、十方の諸仏も呆れて見捨てて逃げた私たちを「もし、生まれさせずば、仏のさとり(命)を捨てる」とまで弥陀は誓っておられます。
 だから親鸞聖人は、弥陀の本願を「若不生者のちかい」と言われています。
 この「若不生者」(もし、生まれずば)の、生まれるということについて、親鸞聖人は法友と大諍論をなされてまで、これは現在、大安心・大満足の心に生まれさせるということであることを明らかにしてくださいました。
 にもかかわらず、死んで仏に生まれさせるということだろうと誤解している人が非常に多くあります。そこで第1の角目で、弥陀の本願は、死んでから助けるという本願ではないぞ、平生(平生業成)であることを教えられているのです。
 第2の角目は、約束した通りに十方衆生を救うために阿弥陀仏が、兆載永劫の修行によって十劫の昔に南無阿弥陀仏の六字の名号を完成されたことです。
 ゆえにこの南無阿弥陀仏の名号には、私たちの苦しみを除き楽を与える、抜苦与楽、破闇満願の大功徳があるのです。
 これを聖人は「和讃」に、

無碍光如来の名号と

かの光明智相とは

無明長夜の闇を破し

衆生の志願をみてたまう(高僧和讃)

阿弥陀如来の創られた名号(南無阿弥陀仏)には、果てしなき過去から苦しめてきた魂の闇を破り、どんな人をも永遠の幸福(大安心・大満足)にする働きがある。

とおっしゃっています。
 たとえれば名号は、飲めばどんな病気でも治る妙薬ですが、十劫の昔にできあがったことを聞いて、もう私たちの病気が治ったことだと勘違いしている人が少なくないのです。
 しかしどんな妙薬があっても、私が飲まなければ病気は治りません。当然です。ところが十劫の昔に、もう助かっているのだと言う人があるのです。とんでもない誤りです。これを十劫安心の邪義といいます。気をつけなければなりません。
 第3の角目は、信心ということです。
 信心とは、大功徳の南無阿弥陀仏の妙薬を飲んで病気が完治したことをいうのです。
 病気が完治したら治してくださった方に当然出るのがお礼の言葉です。
 そのお礼の言葉が念仏であり、第4の角目なのです。顔中に飯粒をつけていても、ご飯を食べなければ腹はふくれません。何万遍お礼を言っても、薬を飲まなければ病気は治りません。
 私が、弥陀から名号(南無阿弥陀仏)を頂いて信心となり、往生一定の大安心から称えるのがご恩報謝の念仏となるのです。

その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と、心得べきなり(『御文章』5帖)

弥陀に救われてからの念仏は、弥陀が私の浄土往生を決定してくだされた、広大な恩徳に報いる念仏である。

 蓮如上人が、朝夕、教えられていることです。

 

『親鸞聖人の花びら』桜の巻より)