なぜなぜ問答を読む

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なぜ自殺はいけないのか

日本で自殺者が年間3万人を超えているといわれます。私もいつ仕事や人間関係のトラブル、家族の介護や病気などの困難に見舞われるか分かりません。そんなとき生きる気力を失い、死を選ぶのではなかろうかと不安です。苦しくても自殺してはならない理由があるのでしょうか。

 近時、自殺者が急激に増えているのは世界的傾向のようです。
 生活に追いつめられて死を選ぶ人から、ノーベル賞作家、億万長者の自殺まで、あらゆる階層にわたっています。ビルの屋上から飛び降り、通行人を巻き添えにしてまでの自殺もあります。
 人間は、なかなか死ねるものではありませんが、それでも自殺するのは、よほどの苦しみがあってのことでしょう。それに無知が手伝っていることも見逃せません。

 釈尊の在世にも、自殺者があったとみえて、次のような話が伝えられています。
 ある日、釈尊が、托鉢の道中、大きな橋の上であたりをはばかりながら、娘が袂へ石を入れていました。
 確かに自殺の準備のようです。哀れに思われ近寄られた釈尊は、優しくその事情を尋ねられました。娘は、ほかならぬ釈尊なので、一部始終を告白しました。

「実は、お恥ずかしいことでございますが、ある男と親しくなりましたが、その後、見捨てられました。世間の目は冷たく、お腹の子供の将来なども考えますと、死んだほうがどんなに楽だろうと思います。どうか、このまま見逃してくださいませ」
と泣き崩れました。
 釈尊は、憐れに思われながらも、厳しく仰せになりました。

「なんとそなたは、愚かなことを考えているのか。そなたには例えをもって話そう。
 あるところに、毎日、荷物を満載した重い車を引かねばならぬ牛がいた。なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか。オレを苦しめているのはなんなのかと、牛は考えた。
 その時、牛は、この車さえなければよいのだと思いついた。
 そこである日、猛然と突っ走って、大きな石に車を打ち当て壊してしまったのだ。
 ところが、後日、牛の親方が、今までの何十倍、何百倍重い、絶対に壊せない鋼鉄製の車を造ってきたのである。
 今となっては、どうすることもできない牛は、前の車を壊したことを深く後悔したが、後のまつりであったという。
 そなたは、その肉体さえ壊せば、楽になると思っているのだろうが、死ねば、もっと苦しい世界へ飛び込むだけなのだ。
 そなたには分からぬだろうが、地獄の苦しみは、この世の苦しみどころではないのだよ」
 釈尊はそれから、諄々と教えを説かれたのです。
 娘は、初めて知る後生の一大事に驚き、仏門に入って救われたとあります。

 

 無知ほど恐ろしいものはありません。真っ赤な焼火箸を平気で握りにゆく、赤子だけが無知なのではないのです。自殺するのは、それ以上に愚かなことをよくよく知らなければなりません。

難思の弘誓は、難度の海を度する大船(『教行信証』総序)
弥陀の本願は、人生の、苦しみの波の絶えない海を、明るく楽しくわたす大船である。この大船に乗ることこそが、人生の目的なのである。

 阿弥陀仏のお約束通り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船に乗り、「人間に生まれてよかった」と、生命の大歓喜を得るところまで、仏法を聞きましょう。

 

『親鸞聖人の花びら』藤の巻より)

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